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「主人の硬縮痙性コントロール整形外科手術」 4/13入院日当日。 [整形外科]

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 4/13 入院。

整形外科医師が、理学療法士・作業療法士さんとともに入念に主人の身体の状態(術部の検討)をみてくれている。各関節、何度まで曲がるか測定。

 

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横向き。

もちろん自力では横向きを維持出来ない。

 

 

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プラットホームに主人を端座位で座らせてみてくれ、

足がどんな状態になるかとか、上肢の姿勢はどうか、

上肢・下肢の座った時の緊張状態はどんなところに力が入るかなど、

全身の状態を触って診てくれる。

もちろん、自力では座れない。

首は力が入っていることで、ガクンと垂れることはない。

従って、右にも左にも自力で動くことは出来ない。

 

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普通に寝ていても全身に力が入った状態なのです。この日はまだいいほう、もっと力が入ると、雑巾を絞ったように身体がしなる。首から肩・胸下方・二の腕、手は強く握りしめ、特に左足は膝が反対に曲がるほど力が入っている。足首からつま先まで長年緊張状態が続いているので尖足になってしまった。足裏は固いまま。全て、脳神経の障害の影響である。力の強さは想像以上。肺は背側に重力がかかり、肺の裏側は肺胞も潰れていく。右肺は上葉・中葉・下葉と分かれているが、主人の下葉はほとんど無気肺になっている。現実だ。

夕方、整形外科医師と話す。どこをどんな風にメスを入れるかという話と、手術に関することについての話だった。この日でDr.と逢うのは3回目。どこのどんな病院でもそんなものだろうが、お互いにどんな人物かという信頼関係は構築できるほどの面識はない。片足8か所、両脚で計16か所もメスを入れることになる。もちろん、やみくもに切る訳ではないであろう。普通に考えても自分の足をあちこち切るようなことはそうそうない。しかも皮膚を切る訳ではなく、筋や腱といった足を動かすしくみの部位だ。

主人はしゃべれない。もちろん、話せば分かると思っているが、本当の本当はどこまでわかってくれているかは謎である。そんなことがこの素人の私が解り得ることではない。脳外科の医師でもそんなこたぁわからん!と言いきれるほどまだまだ脳の解明はされてはいない。主人に今回の手術の事をもちろん話したし、同意もとったつもりだが、そのこと自体覚えてくれているのか、忘れてしまったのか、十分よくわかっているのか・・・ということは不明である。いろんなことを想定して物事に対処しなくてはいけない。今までも。今も。これからも。そんな主人の身体を、(大袈裟だと整形外科医は言うだろうが)、、まもなく切り刻むことになるわけだ。気持ちの揺らぎ・動揺・躊躇・不安・心配・・・・・・・は半端ではない。

主治医との話は別室で行われた。1対1ではない。主任の看護師さんが立ち会う。

何十分話しただろうか・・・・手術全般の話なのだが、大事な麻酔の話は大まかに、詳細はそのあと麻酔医から直接話がひかえていた。前回、大きな手術をしたのは、2009年の9月の尿管結石の切開手術だった。右腎臓からの尿管ど真ん中に大きないびつな結石があって、腎盂腎炎を併発していた。多量の膿がたまり危ないところだった。右の腎臓を潰すところだった。何を隠そうその兆候をいち早く見つけたのはこの私だった。私はドクターではないが、やはり日常傍にいる介護者が一番の医者である。余談だが、その手術をしてもらったのは倉敷中央病院だったが、入院時、初めて逢った主治医に私は医者と間違われていた。ずぶの素人と分かった時の驚きは今も私の記憶に鮮明である。(正直、嬉しかった!) 話が逸れたが、その際の麻酔は全身麻酔しか選択肢はなかったが、自家呼吸を止めて、人工呼吸下での手術だった。1回(1回で十分だが)主人の呼吸を止めるんですよ・・・事実上は医学的には殺さずに生かすんです。凄いというより、大丈夫か?という次元でした。ま、大丈夫に決まっているんですけれどね、術後が相当嫌でしたね。人工呼吸器ですよ、口に管咥えてるんですよ、ズーハーズーハー人工的な呼吸音・・・目は半目で視点は上方。いろんな機械の機械音が合唱ですよ。倒れた当初の方が数倍凄かったですが、それにしても、また思い出されて、半狂乱です、内心。今回の手術も全身麻酔というじゃないですか・・またまた、動揺しますよ。こんなのは何回あっても慣れないです。また同じような思いをするのか・・・手術する前から倒れそうでした。

整形外科医に今までの経験数や、重篤に急変した事例があったか聞いてみたんですが、すこしづつ気まずい空気になってくるのがわかり、お互いぎごちない会話にもつれこみ、たぶん、私が触れちゃいけないことというか、聞いてほしくないようなことをあっさりと聞いちゃって、他意はなく聴いておくことが私の務めと思ったから聞いただけなんですが、非常に嫌な方向に・・・医師が、「重い!」と口にされ、「こればかりは呼吸が合わないと出来ない」とか、沈黙ののち、延期にしましょうか?(=お互いに延期ということは手術をしない選択という意味)とも。そんな雰囲気や流れを変えようと主任の看護師さんが横から助け舟(どちらを助けたいかではなくクッション的な存在)の言葉を入れてくれる。この時点では、私は八割がた手術は辞めようか・・・と決断しようとしていました。特に、私は、人間的に尊敬できないような人とはどんな有能な人ともお付き合いはしないので、たとえ主人の回復に繋げられることとはいえ、妥協はしたくなかったから、この目の前のテーブルをドンっと叩いて「もう、結構です!」と去るカウントダウンに入ってました。医師としては若年に入る先生でしたから、まだまだ人生勉強が要るのには違いないとは思いました。自分の身内のようには毎度考えられないというのは分かる気もしますが、こちらにとってみれば初めての大がかりな整形手術、おまけに、見た目は意思の疎通とれない患者の手術とくれば・・・かなり責任重大なことですもんね。私もどう決断しようものか・・・そればかり考えましたね。技術は確かなんでしょうから・・・ま、それも、おそらく、というより、信じるしか手立てがないじゃないですか。。。。話の後半は、今から考えても、医師側も精神的にはおもしろくはなかったでしょうが、私は心を抑えて抑えて、「この病院の先生の所に来たということは先生の腕も未来も信じているから、今ここに居るんです。」と伝え、お互い、ま、よろしく・・・みたいな感じで終わりました。

麻酔医との話はかなりスムーズに終われました。何が違うかはもう書かずともわかりますね。

主任の看護師さんが私に謝ってくれました。整形外科医特有の・・・とか、悪い先生じゃぁないんですよ・・・とか。奥さんが抑えてくれているのがよくわかりました・・・とか言ってはくれました。やっぱり、命は主人のものですから、私が私の感情だけで決めることではないですから、それに、この手術をしなきゃ主人の命が助からないといった緊急性のあることを選択する手術でもない、逆に、リスクの方が高い訳ですから、私の立場としても責任重大なことですから。ええ。言葉は悪いですが、主人にとってはいらないことになるかもしれないわけで・・・・・。こういうことはいわゆる余分なことになるんですね、実際は。ただ、私は余分な事にはしたくなくて、ますます回復していくために必要なことにしたいのですから。そのための精神衛生上は、いい状態であるべきだと思うのでした。

もんもんとしながら病室の主人の傍に戻りました。子供たちはまだ私の傍にいない時です。何をしていても、この手術をするべきか・辞めて帰るべきか・・・・頭がいっぱいになりました。

9時の消灯まで居て、帰宅したのが10時過ぎ。子供たちに聞いてもらい、判断をひとりづつ聞きました。息子も娘も大人でした。” パパのためになると信じている。やらないより、やるべきだ。”・・・・・と。今までもどんな時でも主人の事を家族(3人)で話し合ってきたし、ほかの誰にも手助けはなかった。子供からそんな決断を聞いても、まだ私の心は揺れ動いた。

不思議な話を。

神様に聞いてみよう!そう思ったのは日が変わって深夜2時を過ぎたころだったろうか、以前に買った「神様カード」を引いてみた。私と主人用に2枚引きました。

NEC_0002 (5).JPGNEC_0001 (5).JPG

 

 

1枚目のカードは、「木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)」様。2枚目のカードは「天児屋命(あめのこやねのみこと)」様でした。両カードのメッセージを要約すると、

 

 

花開くときが巡ってきた。今まさに花開こうとしている。ありのままの自分を愛しなさい。そして、自分が心から望み口にした言葉は必ず形になる。今こそ思いが実現する時が近づいている。本当にやりたいことへの第一歩になる可能性がある・・・・・・・と。

なんと、ありがたいお言葉でしょう。そして、とても不思議なことで本当に驚いたのですが、

13日当日の朝9:03に、まだお会いしたことはないんですが、当ブログでもご紹介したことがありますが、[かわいい]サクヤさん[かわいい]から、直々にメールを頂戴しておりました。とってもとっても嬉しく心強いメールを戴きました。本当にありがとうございました。サクヤさんの身近におられる神様が、1番目に引いて出た、木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)様だったのです。これは偶然とは思えませんでした。

迷いに迷い、揺れ動いているとき、お導きくださったのはこの神様でした。この世の中には理屈では片付けられないことがたくさんあります。なにを信じるかは人それぞれです。私は1番目に引いて出たカードを見たとき、やはり御縁を頂戴し、守ってくださっているのだと、とても嬉しく思いました。身近に誰に相談する人も居ない現状、神はかりに託した思いは神に届いているのだと実感しました。自分や主人や医師を信じて託すのだと悟りました。疑うことを辞めたのです。そっと背中を押してくださったサクヤさんと木花之佐久夜毘売さま、ありがとうございました。

結局、この日は朝まで夜明かししました。こころを無にして自分を入れ替えるために、朝まで「大祓祝詞」をあげました。

 


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主人の手術成功しました! [整形外科]

4/15(金)の主人の整形外科手術、無事、成功しました!

お祈りくださいました方々へ心より御礼申し上げます!!

御心配くださっている皆様、お知らせするのが遅くなりごめんなさい。

朝8時過ぎに手術室入り、対面できたのは午後3時頃でした。

片足8か所、両脚と股関節合わせて計16か所の手術でした。

麻酔医と整形外科医の腕がかなり良かったです。

詳細はまた後日に記事にしたいと思います。

朝の子供たちのお弁当作り~帰宅まで、

わたくし、かなり忙殺され、帰宅したら速攻布団へ・・・・

あまりの睡魔に車の中で5分だけ寝るつもりが30分も寝過ごしてしまったりして、

はふ~、私の電池が・・切れ切れに・・・

東北の被災地や被災された方々のこと、日々胸が痛みますね。

どうかお身体だけはご自愛くださいませ・・と祈ってます。

取り急ぎ、ご報告と御礼まで。


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入院前の事前検査と土地縁と今後の展望 [整形外科]

4/13(水)に入院して、4/15(金)に整形外科的手術をすることになっている主人。

今日は、入院前の事前検査をしに病院へ行きました。

今日はかろうじて筋の緊張が強くなかった。

でも、最近は手を挙げる幅が狭くなったのでは・・と思っている。

一時的なものか、そうなりつつあるのか、もうそうなってしまったのか・・・

わからない。

腱延長の手術は、実は初めてではない。

4年ほど前、春に1回だけ、右手の中指の付け根を手術した。

たまたま今回入院する病院の近くの大きな病院だった。

そこは京都大学出のドクターが多い、いわゆる京大系の私立の病院である。

別に病院名を伏せることはないので書いてもいい。

gaikan2.jpg←倉敷中央病院

倉敷中央病院という。(主人の右手の中指の手術をしてくれた病院)

全国でも有名なほうだと思うが、

大原美術館を建てたひとが地元の為に昔病院も建てた・・という

素晴らしい功績を遺した名士。

それはそれは歴史ある病院である。

ここの病院は、わたしども、縁があるようで、

何を隠そう、わたくし、この辺で生まれ、小学1年生の夏まで倉敷で育ったのです。

もう何十年も経っているので、もっぱら、幼少時であんまり記憶も無いのだが、

幼少時は裕福に育ててもらったようで

仏教系の幼稚園に入れてもらい、

幼稚園通園も、角帽をかぶって自宅前からスクールバスで通った覚えはある。

その当時の光景はまだ頭のどこかに鮮明に記憶がある。

おもしろいことに、当時の空気感や、

自宅近くの文房具屋さんで買った消しゴムのいい匂いまで覚えている。

近くの神社かお寺でよく遊んでいた記憶もある。

何年か前、その神社かお寺かわからないけれど探してみようとして

うろうろ車で走り回ったが

記憶に近いところはひとつも見当たらなかった。

無理もない、区画整理などして変わりすぎているのだと思う。

それでも納得せず、地図上で、当時の住所あたりの(今の地図上の)氏神様に

詣でたこと3.4回。

そこがそうか解らないままだが、

その土地にお世話になったことには違いない。

小学校1年の夏まで通った小学校も行ってみたいと思いながら行けなかったのに、

息子の同級生のお友達のお母様と話していたら、

氏神様の話になり、

何年も氏神様の神社に行ったことがないと言われ、

御病気の話もされていたので、

氏神様にお願いしてみては?とおせっかいを言ってしまった。

話しの流れで一緒に行く流れになり、

先に地図で確認してみたら、

偶然か必然か、その方達は昔私が通っていた小学校の近隣に住んでおられて、

たまげた!たまげた!

こんなこともあるんだな・・・と不思議な縁を感じた。

ちなみに、春日神社という。

小学校の隣にあるその神社は懐かしい感覚がした。

そこで遊んだ記憶はないし、たぶん遊んだことはなかったように思う。

当時住んでいた自宅と小学校は結構離れていたから、

当時の氏神様ではなかったと思う。

やはり、土地が醸し出す懐かしさだろう。

何十年も疎遠であったこの土地に

今頃、縁が深まって、

この近くの病院、二つも、御縁が出来るとは思ってもみなかった。

しかも、私が係る病院ではなく、主人が係る病院として・・・

やっぱり、私は主人を(おこがましくも)助けるお役目があったのだろう。納得!

それにしても、私はめでたい人間だ。

なにかにつけてこじつける。

でも、まんざら、間違ってない気がする。。

phpThumb_generated_thumbnail.jpeg←倉敷平成病院(旧:高尾病院)

来週、お世話になる病院は、倉敷平成病院

小規模の病院だが、ひそかに名医が居る。

お世話になる整形外科のドクターも腕利きのようだ。

婦人科のドクターもかなりの名が知れた名医らしい。

私は主人が手術を無事に終えたら、速やかにここの婦人科へ駆け込もうと思っている。

珍しく女医さんも居たので(探していた!)いろんな検査をしたい。

今日、整形のドクターと主人が施術してもらう手術について話をした。

もう発症から7年9か月も経っているので

脚の先などは、骨が固まってしまって尖足になっているので、

例えば床に足裏をつけたりするには、腱の延長だけではどうにもならず、

今回はできないけれど、骨自体を削ったりしないといけないことや、

固定する補装具を長期間付けたりしないといけないことも聞けた。

まずは、下半身をいっぺんにさわれることろをやるとのこと。

それも、6.7時間の大手術になるという。

ドクターも大変な労力がいるらしく、その日はこの手術だけの仕事となるらしい。

手術前日は早くから寝ます!とおっしゃっていた。

整形外科の手術は、突貫工事みたいなもので

手術に使う道具も、ノミや金槌と同じような道具だろう。(テレビで視た!)

あぁ、想像すると恐ろしい。

麻酔医も有能なドクターだからと言って安心させてくれたし、

術後から始まるリハビリの理学療法士さんも電話で呼んでくださり、

面識を持たせてくれた。

私が一番頼りに思っている人だから、その方に頼んである・・・と。

本当に有難いことだと、感謝している。

主人の術後における成果については

今まで同じような症状の患者さんではやらなかった方がよかったというような症状には

なっていないし、少なくとも少しでも改善されることは確実と思うと言ってくれた。

とても厳しい現状であることには変わりない。

手術をして歩けるようになるほど改善するということは考えにくいということは

承知の上である。

高望みは出来ない現実がある。

話しの中で、少し、光明が差した思いがしたことがある。

ドクターが狙っている成果は

今現在のリクライニングしたままの状態で使っている車椅子が

出来れば少しでも背を起こして乗れるようになれば・・・といってくれている。

実は、正直、私はそんなにそこは望んではいない。

ドクターにも聞かれたので、今後の願望というか展望というか、

私(介護者として妻として)は、

緊張が常時強く入った身体がしんどいと思うので少しでも改善してくれて、

出来れば今後の課題として、

足を床につけてベッド上で座る(端座位という)リハビリが出来るようになることと、

次回の上半身の手術後は、胸の緊張が緩んでくれてリハビリを強化し

嚥下がスムーズにできるようになること、の3点を挙げさせてもらった。

今の段階では机上の空論の話である。

けれど、夢は大きく、目標は細かく、志は高く持つべきだ。

まだ、この期に及んで、やれることがあることが嬉しい。

この繰り返しを紡いできた。

まだまだ、やれることはあるはず。

あきらめるには早すぎる。

なるようになる。

だけど、なれるようにがんばる。

被災地の皆さんも、頑張っている。

ステージは違うけれど、頑張っていきたいと思う気持ちは同じ。

今日もさすがに疲れたが、いつもの疲労感とは少し違う。

前に向いて少しでも進んでいる気がするから。

歩みを止めるわけにはいかない。

主人には私しか居ないのだから。

 

 

 

 

 

 


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恵みの雪の日、手術決定。 [整形外科]

昨日は珍しく雪らしい雪が降っていた。

初診の病院へ行くのと、雪だから交通も滞っているだろうからと

早く家を出るつもりで支度の予定も

午前中いっぱいまで担当医師への書類作り・・・

あぁ、時間がない・・・

 

医師へお手紙と、

発症から今までの7年8か月間の経過をエクセルで表にして(いつも更新ずみ)

今年のリハビリ目標の紙もついでに印刷。。

いままでもらえるだけ有償で買ったレントゲンやCT・MRI等も持って。

 

思いのほか、雪が降り続いていた。

家に取りに戻った。

傘、傘・・

タオル・タオル・・・

ドタバタ、ドタバタ・・・

 

家の中で、車に戻ろうとくるっと向きを変えた時、あっ!!

ブレスレットのお守り、しとこっ!

お皿洗いの時に一時外したブレスを台所に置いていたのを思い出した。

私の大事な一番のお守りのサクヤさん手作りのブレス

出掛ける時はいつも左腕にしたブレスを右手で触る。

触りながら想いを込めるくせがついた。

どのアクセサリーより馴染む。

 

外は本降りの雪。

主人の顔に、わざと天から降る雪を当たらせる。

冷たそうなそぶりに感覚の良し悪しをみる。

 

「ホワイトバレンタインだね・・」と主人に話し掛ける。

 

やっと、車に乗り込んだ。

ここから、約1時間とみた。

事故しないように気を付けながら運転する。

車の中ではいつもCDを聴く。

私は”音”がないとダメ。

家でもテレビか音楽どちらか鳴っている。

ほんの2・3日前、Gleeの曲その他を iTunes で何曲か購入して

オリジナルCDを焼いていたのでそれを聴きながら運転。

あぁ、最高!

車の中ではいつも気分が切り替わる。

車は後ろを向いて走らないから、

いつも前向きになれる。

走りながら涙がこぼれる時も結構あるけど、

そんな時は、お気に入りのいろんなモード用のCDで

自分の心をコントロールできる。

 

 

医師に、なんて言われるか・・・な・・?

そんなこと考えたり。

目的地に辿りつくまでに

その目的に相応しい気持ちを仕上げる。

 

この時は

Dream On という曲が、

私に、勇気と志気をくれた。

 

              Dream On ( singer  エアロスミス / スティーブン・タイラー )

              鏡を見るたび
              顔の皺がもっと目立っている
              過去なんかもう終わっているよ
              夕暮れから夜明けのように過ぎ去ってしまった
              そんなものだよ
              生きていれば誰だって代償を払わされるんだ

              何処から来て
              何処へ行くのか誰にもわからない
              みんなの罪なんだ
              勝つためには負けることも大事なんだ

              僕の人生の半分は本に書かれてる
              愚か者と賢者に学んで生きる
              それは本当のことだ
              何もかも自分に戻ってくるんだ

             *僕と一緒に歌おう、年月のために歌おう
              笑いのために、そして涙のために歌おう
              今日だけでも一緒に歌おう
              明日になれば神様に連れて行かれるかもしれないから

             *repeat

              夢を見続けろ、夢を見続けろ、夢を見続けろ
              夢が実現するまで見続けろ
              夢を見続けろ、夢を見続けろ、夢を見続けろ
              夢が実現するまで見続けろ…

             *repeat2

 

世界中の人々が

それぞれの胸に、それぞれの悩みや苦しみを抱えている。

どの悩みが一番重くて

どの辛さが一番重いのではない。

その人にとってみれば、

自分が一番苦しくて一番辛いのだ。

比べられるものではない。

 

自分が痛めば痛むほどに

他人の痛みが感じられるのだと思う。

他人の痛みと言えば、いつも思い出される言葉がある。

 

5年ほど前か、主人の栄養状態の評価をお願いして、

管理栄養士でもあるNST(栄養サポートチーム)の方にお逢いした。

50代後半の女性の先生だった。

たくさんの会話の中で、

 

「してあげられる幸せがあっていいですよ。」 と、さらっと言われた。

 

その先生の個人的な事情を知らなかった当時の私は、

「幸せ」という語彙と「いいですよ」という語彙に

少し無神経だな・・と思ってしまった。

後日、違う女性の医師からだったか、

その先生は、昔、ご主人を突然亡くされたということを聴いた。

 

初回面識で、しかも言うタイミングや内容に違和感はあったけれど、

当時の私は他人の痛みを理解するまでの余裕はなかった。

あの時、たぶん、先生は

一生懸命主人のためにしている私と主人の姿を

切ない思いから刹那に、羨ましいと思ったのだろう。

先生の正直な心の声だったと思う。

( 私も手を尽くしてあげたかった・・・という )切ない思いがあったに違いない。

一瞬でも、私は、先生の事を無神経だと思ったことを情けないと悔いている。

 

そのことがあってから、私は、

その先生の言葉が頭から離れない。

主人の事で思い悩むごとに

悲しく思うごとに、

「してあげられて幸せ」なんだから・・・と思えるようになった。

 

話が逸れ気味だが、繋がっています。

 

初診診察予約時間の20分前に病院に着いた。

自宅より病院があるこちらのほうが雪は降っていた。

傘が無いと歩けないほどに。

主人を車から降ろして病院へ入るまでに頭からびしょびしょになった。

傘をさしては車椅子を押せないので、

傘は主人に覆いかぶせて

私は雪に当たりながら進んだ。

入り口を入ると通路の左側にものすごく広いリハビリテーションフロアが目に入った。

こんな小さい病院にこんな立派なリハ室がある!とびっくり。

と同時に、リハビリに力を入れてる病院なんだ!と思った。

大学病院並みの広さだった。

見たとき、このフロアのどこかの寝台で

主人が寝てリハを受けている情景が想像できた。

妄想か、理想か、願いか・・・

いや、どれも間違ってはいない。

 

いよいよ、機能再建外来のドクターと逢う。

45~50くらいの気さくなドクターだった。

私は、夜なべして作った主人の資料を

先生の話のタイミングを見ながら1部づつ渡していった。

最初に先生に宛てた手紙を静かに読んでくれた。

「あちこち、お願いしてまわってるんだなぁ~」と労いともいえる言葉。

どの会話も

私が言う言葉を素早く理解して返事をくれた。

御熱心にされてるんだな~と思ったのが、

先生の携帯(iPhone)に患者さんの施術前・施術後の動画が入ってて

それを説明しながら見せてくれた。

この患者さんは~・・・・・~

この患者さんは~・・・・・・~ というふうに。

ご主人と同じような症例の方、この間したんよ・・・これこれ・・と。

その動画にはいっぱい想いが詰まっていた。

患者さんの苦しそうな体形、

介護される方の苦悩・願い・・・そして

術後の改善された体形、患者さん本人の身体からの喜び、感謝、

介護者の喜び、感謝、  涙。。

もらい泣きで画像が見えなくなった。

患者さんに主人の姿をだぶらせて見ていたかもしれない。

身体の苦痛は本人しか解らないけれど、

介護者としては痛みを感じてあげられない辛さやどうにもしてあげられない歯がゆさ、

どうにかしてせめて楽にしてあげられたらと思う想いが

共感できる。

私には到底してあげることが叶わないことを

先生にはできる能力がある。

「じゃ、やりましょうか。」

さらりと先生の口から出た嬉しい言葉に

耳を一瞬先生の方へ傾けた。

2回も訊かない。今聴いた。確かに聴いた。

「あ、ありがとうございます!!!」と言わせてもらった。

こんなに嬉しい思いをしたのはいつぶりか・・・

硬膜外に電極の埋め込みの手術(DCS=脊髄後索電気刺激療法

をしてくれることが決まった日以来かもしれない。

 

手術してもらえることが決まって、いきなり心が軽くなった。

嬉しさでいっぱいだった。

だって、またよくなれる(少しでも回復)切符か

もしくは入場券をもらえた気がしたから・・・

もしくは、宝くじに似てるかもしれない。

「ただし、劇的な回復は望まないようにしてくださいね・・・」と前置き。

「分かっています。今より少しでも前に進みたいんです。」と返した。

 

前に進める。

前に進める。

本当に嬉しい。

全てに感謝が湧いた。

 

「そうだね、まず、下肢からいこうか・・・、股関節も含めて・・・」

下肢からとは意外だった。

 

「どこをどんなふうにお考えですか?」の私の質問に、

「まだ、詳しくは言えないですよ。なぜなら、検査する日に詳しく触ってみてからだから。」と。

不安は微塵もなかった。

今日、初めて、お会いした人を

ドクターといえども信頼するのは自分でも以外。

言葉では表現できないが、

私の心がそう思っていたから。

信頼というより、信じて疑わないという表現のほうが適切か。

巡り会わせ・・・というか。

運命というか。

見つけようとして見つかって、

逢いたいと思って逢えて、

私も十分に努力して探し当てた充足感が

これからの不安を消したのか。

信じることに簡単も不安もない。

一途に信じることだけしかない。

だから、例えば、結果がよくなくても

後悔はない。

今は、何か出来ること自体が、嬉しいこと。

「してあげられて幸せ」と言われた栄養の先生のように

「してもらえる幸せ」がある。

何にしても、御縁に感謝する。

また、主人に、回復に繋がることをしてあげられる。

手術も1回ではない、何回になるかは今の時点ではわからない。

2回以上は確実だろう。

今は、手術まで、体調管理を確実に気を付けよう。

術後は、リハビリを今以上にがんばろう。

自分では叶わない主人にかわって、

私が舵をとる。

主人の魂に響くように・・・

声なき声を聴き洩らさないように・・・

 

今しか、出来ないことを一生懸命、

今、出来ることをがんばろう。

 

奇跡はまだまだ来ると信じている。

明日のことなんて、誰にもわからない。

わからないから、希望がある。

 

病院から出て、帰路に着く。

2011.02倉敷平成病院帰路 (4).JPG

車のフロントガラス越しに降り続く雪・・・

2011.02倉敷平成病院帰路 (3).JPG

車内にかかる宇多田ヒカルの「First Love」。

発症当時、4か月と10日、出られなかった病院から転院するとき

主人を倒れて初めて変わり果てた主人を載せて転院先の病院まで

自分の手で、自家用車で搬送している車内で聴いた同じ曲。

この曲を聴くと思い出す。

主人の頭をなでながら泣きながら運転したこと・・・

思い入れのある歌。

次にかかった曲は、平原綾香の「誓い」。

 

 

         誓い(平原綾香)


         願いを こめた流れ星が 夜空を駆けてく
         目指した場所までは遠くて ため息 こぼれる

         たしかな想いは 届くはず

         胸に誓うよ 永遠(とわ)に果てしない道も 乗り越えてゆくと
         たどり着くまで そのときまではきっと あきらめないから

         ゴールは終わりじゃなくて また 次への始まり
         扉を開ければ 続いてる まぶしい世界が

         期待と不安で 加速する

         風が走るよ 生まれたての景色に 胸が高鳴る
         迷わずゆくよ 見慣れた世界を背に 新しい舞台へ

         祝福の鐘を空に鳴らし 大切な人に届けよう

         風が走るよ 生まれたての明日に 胸が高鳴る
         ふりかえらずに このまま歩き出そう 新しい舞台へ

         胸に誓うよ 永遠(とわ)に果てしない道も 乗り越えてゆくと
         たどり着くまで そのときまではきっと あきらめないから

         重ねた手にはずっと
         光続ける 誓いを

 

この曲を聴きながら運転する。

これほどまでに、今の状況にぴったりの曲はない。

とてもあたたかい気持ちになった。

わざわざ手動で切り替えたわけじゃないのに

タイミングが良い。。。

曲の巡リ合わせが偶然か、更に 私を泣かせる。

希望で胸がいっぱい。

 

今日の雪は

私達には恵みの雪。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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